実在するものも、現実世界も、森羅万象を解き明かす科学も、すべては人間がそのようにみているモノにすぎない。
「世界平和」も、「環境保護」も、「あらゆるものは平等である」という理念も、どれも人間が考えた、人間だけのための、耳ざわりのいい、実に空虚なコトバである。
人間以外の視点・立場が全く欠けている。
実に不完全な〈考え〉である。
すべて人間中心の発想だ。
人間はあらゆるものを人間的にみて、人間を主体にしてに考える。
人間として(人間を主体にして)考えることは、何をどのように考えようとも、人間中心のものである。どう見ても歪んでいるとしか言いようがない。キャッカンテキにミテ、奇形である。
人間であるという自覚を捨てなければならない。
人間であるという自覚だけを持って臨んではならない。
人間というものは無い。自分というものは無い。
自我というものは無い。自己というものは無い。
人間である私というものは無い。
なんらかの主体であるとき、その対象は限定される。
人間であるという自覚、あるいは自己・自我・自分・私という自覚をもった時点で、その世界は限定されている。
そして、そのままその世界に限定されてしまう。
そうとは気付かぬままに。
比喩もできないような、取るに足りない矮小な、いびつに歪んで偏った奇形なモノを、「現実・世界・宇宙・森羅万象」等と思い込んでいる。それを頼りにしている。
井の中の蛙どころのはなしではない。
不完全とかいうはなしではない。
人間として考えようとする限り、救いは無い。
人間として考えている限り、なにも解ることは無い。
実に、憐れである。
ひとごとではない!