わたしは、いま、ここに、こうして存在している。
わたしはそのように感じ、そう思っている。
そのようにわたしは考えている。
世界も、わたし自身も、わたしが考える様に存在している。
わたしはそう思い、そう信じている。
わたしはそう感じ、そう思い、そう考え、それを疑わずに信じている。
では、 その考えや信念は、いったい何によってもたらされるのか?
その根拠は何か絶対的なものなのか?
そのアイディアを支えているのは、一体なんなのか?
わたし自身も
わたしの世界も
わたしが感じる全てのモノも
わたしが考える全てのモノも
わたしが信じる全てのモノも
わたしが知りうる全てのモノも
あらゆる全てのモノは
わたしによって感じられるのであり
わたしによって考えられるのであり
わたしによって信じられるのであり
わたしによって知られるのである
わたしは、見る。
わたしは、眼で見る。
わたしは、眼を使って、見ている。
わたしは、世界を、見る。
わたしが、世界を、見ている。
わたしが、世界を、見いだしている。
わたしの見る世界は、わたしが見る様に存在している。
何故なら、わたしが、世界を、そう見ているから。
わたしの考える世界は、わたしが考える様に存在している。
何故なら、わたしが、世界を、そう考えているから。
わたしの考える物事は、わたしが考える様に存在している。
何故なら、わたしが、物事を、そう見ているから。
わたしが思い描く世界は、わたしが思い描くことによって成り立つ。
わたしが信じる様に、全ては存在している。
わたしの世界をみいだすモノは、わたし以外に、無い。
わたしが考える以前には、考えられるようなモノは、ナニも存在しえない。
わたしが考える全ては、わたしの考えに依存している。
わたしがその存在を認めるから、それは存在することになる。
わたしが、全てを、存在させている。
わたしが、全てを、作りだし、生み出している。
わたしが、わたしの、内も、外も、つくり 、
わたしが、常に、維持し続けている。
そうして、わたしの世界を、つくりあげ
わたし自身をも、つくりあげているという
ワタシ、というのは、、、
ナニ??????
わからない
誰にも、ナニにも、知ることはできないだろう
ソレは知りえないモノ、純粋な謎、
予め無いモノ、あるはずの(無い)モノ、、、、。